挨拶内容

皆さんこんにちは。
本当に、暑い中たくさんの皆さんにお出でを頂きました。ありがとう御座います。
これだけ皆さん方にお集まりいただき、何としても頑張らなくてはならない。
この強い思いを、さらに強く思った訳であります。

 只今、ご来賓の方々から、激励ご挨拶を頂きました。懐かしい工業団地の開発やら
消防本部、私の行政の中で最後の2年間、消防本部勤務を命ぜられた訳で御座います。
職場の思い出、懐かしい思い出、そういう話をご披露頂きまして、あの頃、宮ノ郷ハイテクパーク工業団地、金砂郷工業団地、企業誘致等々、随分、東京、大阪と行って来たなあと思いをしました。
 
 現在、このコロナ収束が全く見えない状況であります。令和元年の12月8日と報道されておりますけれど、中国の武漢で、この新型コロナウィルス感染症が発見をされ、その後、令和2年度3年度と事業が自粛されております。
 この地域の、唯一のイベントであります西金砂登山マラソン、これも2年間連続で中止という状況になっております。その他、そばオーナー制度等々、全て中止中止と、今年は何とか見出さないかと、模索をしている様な話を聞いております。このコロナが何時、収束するのかは、全く誰も分からないという事であろうかと思います。
 
 昨年の5月に、前大久保市長から今の宮田市長にバトンを引き継がれたわけでありますが、宮田市長は、前大久保市長時代に7年間副市長を務めておりまして、全く行政の継続という形になっております。現在、定員は18名ではありますが、その大半が大久保市政、今の宮田市政に、原則的には協力するという体制でおります。
 定数の話を申しました今度の選挙は17名の戦いであります。市町村合併の時には、なんと定員68名。私も当時、執行部におりました。その後、これは議員の数が多いのではないのかとの事で解散がありました。平成18年であります。解散の時が26人。その後平成22年の時が4人減りまして、22人。その後、平成30年18人、そして、今回が17人。
 議員定数検討特別委員会9名で議論を重ねてまいりました。私も9名の中の構成員でありました。常陸太田市は茨城県内44市町村の中で、一番面積が多い。これ以上議員の数を減らせば、市民の声が行政の方に届かなくなるではないかという声。常陸大宮市、行方市、稲敷市あたりは、常陸太田市より、人口が少ない。しかし、定数は同じである。色んな事がありました。
 更には、茨城県内32市の中で財政力は最下位クラスであります。常陸太田市の人口減少も予想を超える割合で減っております。色んな意見が出まして、結局、1名減にやむなしという事になりました。私も本当に検討いたしましたが1名減にやむなしと判断をした訳であります。

 今後、常陸太田市は、人口減少対策、空き家対策、農林業問題、生活環境、道路問題等々がこの地域は特に山積されております。これらを先ず行政の方に届ける。私は平成29年の補欠選挙から、「地域の声を大切に」をモットーにしております。これは補欠選挙、前回平成30年の選挙、そして今回、全く変わらないスローガンでやっております。
「地域の声を大切に」を肝に命じて、今後4年間は頑張ってい参ります。

 そのためには、皆様方の支援が何としても必要であります。皆々様方の1票1票積み重ね、ご支援、更には、そのご支援の輪を是非とも広げて頂きたい。
 今日は朝7時半の頃から私共の仲間30数名が常陸太田市内268ヶ所のポスター掲示場が御座います。それぞれ、班編成をいたしまして、今頃は終わるか、終わらないかの状況であろうかと思います。もう既に出て行って頂いております。
 是非とも、皆さん方中心に、ご支援の輪を広げて頂きたい。
この様にお願い申し上げて、私の立候補のご挨拶とさせて頂きます。
よろしく、よろしくお願いいたします。